【乃木坂46】「僕のこと、知ってる?」の歌詞考察
けろけろです。
自分の思考の足跡を残すためにブログを書いています。
今回は乃木坂46の「僕のこと、知ってる?」という曲の歌詞の解釈に関して自分なりの解釈を書いていこうと思います。
あくまでも個人の解釈ですので、このとらえ方が絶対だ、という考え方を押し付ける訳ではありません!そういうとらえ方もあるよね程度に読んでいただけると幸いです。
今回紹介する「僕のこと、知ってる?」は、乃木坂46のドキュメンタリー映画第2弾「いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46」のエンディングテーマに使われた曲です。エンディングということもあり、映画の内容と照らし合わせながら聞くとより歌詞の中身が見えてくると思います。
この映画の主なあらすじとしては、こんな感じです。
結成から7年目を迎えた2018年9月。
22枚目となるシングルの選抜発表の場で、エース西野七瀬の口から自身の卒業が明かされた。
いつまでも変わらないと信じていた、しかしいつか失ってしまうとわかっていた、戸惑うメンバーたち。
今や自らの予想をはるかに超える人気を獲得し巨大化したアイドルグループ、乃木坂46。
その“うねり”の中にいる自分は、はたして何者なのだろうか?
エースの卒業をきっかけに自分探しの旅に出る少女たちの心の葛藤と成長をこれまでにない親密な距離感で、物語はつむがれていく。
あらすじにもあるように、この映画の主な視点としては、大人気グループとなった、「乃木坂46」という現象の最中にいるメンバーたちをアイドルとしてではなく、一人の人間としてとらえています。特に、「彼女たちは、何者なのか?これから何者になろうとしているのか?」という視点に重点を置いていると感じました。
そこでこのエンディング曲「僕のこと、知ってる?」は、ずばり乃木坂メンバーひとりひとりの、「なりたい自分への問いかけ」を歌っている曲だと考えます。無粋ではありますが、言い換えると「私は、私のこと、本当にわかってる?」という曲だと考えます。これを「僕のこと、知ってる?」という目を惹く曲名をつくる秋元康先生のやはり語的感覚は素晴らしいと感じました。
映画の内容を踏まえて見ていきます。
【Aメロ】
知らない街のどこかに 一人でたっていた
どうしてここにいるのか 僕にもわからない
いままでのことなんにも 覚えていないんだ
人ごみの中ぽつんと 途方に暮れてたんだ
見ず知らずの街で「僕」は立っています。なぜその街にいるのか、それまではどうしていたのか分からず、途方に暮れています。
映画のテーマにも重なる部分で、私は何者なんだ、誰なんだという疑問から始まります。
【Bメロ】
青い空は澄んでていつもよりもキレイで
なぜだか涙がとまらなくなった
風が吹いたせいなのか 雲はどこへ行ったんだ?
迷子だ(迷子だ) 迷子だ(迷子だ) 記憶喪失
この「雲」とは、西野七瀬をはじめ卒業していったメンバーたちのことだと考えます。新たな行く先、アイドルの先を求めて、自分の人生の新たな決断を下し、卒業していくメンバーたちをなぞらえている「雲」と、現状を維持して乃木坂46というグループにまだ在籍するという判断、言い換えれば、一人の人間というよりは、一人のアイドルという姿勢のままでいる判断を下すメンバーたちをなぞらえている「僕」。「雲」が意思を持ち、去っていくことで、そこに残された「僕」に、日差しが降り注ぐことで、より鮮明な形が浮かんできます。
風が吹いて雲はどこかへと消え、空は澄んでいて美しく、「僕」は涙が止まらなくなります。「僕」は迷子だと感じ、「記憶喪失」に陥っているさえ自覚しています。やがて雲が消え、青空から日光が降り注ぐことによって、迷子である「僕」の存在がより強く形を持つことになり、寂しさや不安がよぎり、涙が止まらなくなっているのです。
【サビ】
僕のこと知ってる?(僕のこと知ってる?)
ねえ誰か教えて(ねえ誰か教えて)
何者なんだろう?考えたって自分のことが思い出せない
僕のこと、知ってる?(僕のこと、知ってる?)
手がかりが欲しいんだ(手がかりが欲しいんだ)
ここまで生きた思い出さえ
落としたのか(捨ててしまったのか)
忘れてるのか
ホントの僕は
(今もきっと 今もきっと 今もきっと)
いつかの僕を
探したいんだ (探したいんだ)
「僕」は自分が何者なのかを誰かに聞いたり、自分に問いただしたりしています。 そして、ここまで生きた思い出をどこかで落としたり、忘れたりしています。AメロやBメロの流れも汲むと、これは、乃木坂メンバーがどうしてアイドルグループに入ろうと思ったのか、アイドルの先に何を求めていたのか、というのが「ここまで生きた思い出」が表しています。それをどこかに落としてしまっていたり、忘れてしまっていたりしています。「いつかの僕」というのも「ここまで生きた思い出」と同じで、アイドルになぜなったのか、本当の理由を強く持っていた時のことを思い出したいんだ、と歌っているのだと考えます。
【Aメロ】
そばのだれかに聞いても
答えてもらえない
他人のことなど結局 親身になれないのか
【Bメロ】
道の先がどこまで そう続いていようと
通行人には関係ないんだ
自分が向かう場所まで辿り着けばいいだけ
勝手だ(勝手だ)勝手だ(勝手だ)
傍観者たち
ここから、「僕」の心情に少しづつ変化が生まれています。ここでは「自分が向かう場所までたどり着けばいいだけ」という新たな視点を手にします。これは、求めている「ほんとの僕」とは他人に聞いて得られるものでは無いということに気づいたという場面です。グループを卒業していったアイドルはたくさんいます。しかし誰一人として同じような道を辿った人間はいません。それぞれの「自分が向かう場所」があり、その場所に到達することこそが、「ほんとの僕」を探すことであり、アイドルとしてどうしたいか、卒業したあとでどうしたいか、という問いの答えは、自分自身で作り出すしかないと悟っています。そしてそこに自分以外の他人は関係ないという意味で「通行人」や「傍観者」という言葉を使っています。
【サビ】
僕のこと、知らない?(僕のこと、知らない?)
会ったことないかな?(会ったことないかな?)
見かけたことくらいありませんか?
何か隠してるそんな気がする
僕のこと知らない?(僕のこと、知らない?)
足跡を見つけたい(足跡を見つけたい)
誰かに似てるとかでいい
勘違いでも(ただの誤解でも)
思い込みでも...
それでも僕は 迷子のままだ
「誰かに似てるとかでいい」や「勘違いでも...」と思っていましたが、結局は「迷子のまま」であることからわかるように、やはり、他人に解を求めても無意味だという考えに至ります。
【Cメロ】
そう誰も知らない(そう誰も知らない)
世界へ行きたかった(世界へ行きたかった)
顔を晒したって気づかれない
人ごみの中 歩きたかった
自分が誰か どうだっていい
このCメロで、全体の流れが大きな転換を迎えます。ここで注目したいのは、「自分が誰かどうだっていい」の部分です。この曲の中では「自分は何者で、何になりたいのか」を探すことが「ほんとの僕」をみつけることだと考察してきましたが、この、「何者かにならなくてはならない」という考えから解放されるのがこの場面です。自分の生きたいように生き、なりたいようになること、それこそが「ほんとの僕」になることであると考えます。
【サビ】
僕のこと知ってる?(僕のこと知ってる?)
ねえ誰か教えて(ねえ誰か教えて)
何者なんだろう?考えたって自分のことが思い出せない
僕のこと、知ってる?(僕のこと、知ってる?)
手がかりが欲しいんだ(手がかりが欲しいんだ)
ここまで生きた思い出さえ
落としたのか(捨ててしまったのか)
忘れてるのか
ホントの僕は
(今もきっと 今もきっと 今もきっと)
いつかの僕を
(探したいんだ 探したいんだ 探したいんだ)
サビの繰り返しです。歌詞は1番と同じですが、「自分が誰かどうだっていい」という視点を手にした「僕」は何もわからないままというよりは一歩前進していて、1番の時より前向きな姿勢になっていると思います。
【エンドロール】
街に貼られたポスター
誰かに似てるような...
最後のこの一節がたまらないですね。この曲の続きを予感させてくれます。
この「誰か」とは、未来の「僕」自身を表していると思います。新たな考え方を手にし、これからどうしたいのか、はっきりとしてきたというビジョンが見えたという場面を街でポスターを見かけるという場面に置き換えていると考えます。
つたない日本語ですが、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。これで少しでもこの曲に対する価値観が広がってくれると嬉しいです!